擬音語のよさは“一途さ”

擬音語っていいなぁと思うんです。

理由はひとつ、一途だからです。
ひとつの擬音語には、ひとつの意味しかないんです。

「ダボダボ」と言われたら「服が大きいんだなぁ」と感じ取れます。

「メキメキ」と言われたら「あぁ、なにか塾か参考書に書いてありそうな、“上達、成長”することをあらわした擬音語だなぁ」と感じ取れます。

「ペロ」というのは、なにかを舐めるとき、一方で貼ってあるものが剥がれるときに使います。では「ペロ」の用法は二通りでしょうか?いいえ、違います。「なにかがしなやかに動く」というのがコアにあるはずです。「あずにゃんぺろぺろ」のように愛でるのに使うときは、舐めたいくらいにすきというのをあらわしています。

たぶん、この日本語の豊富な擬音語は、漫画に起因しているのだと思います。いや、正確に言うと、どちらがどちらに作用しているというわけではなく、相互に作用して生成されていったのではないでしょうか。



オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界 (平凡社新書)