お笑いと評論とエンターテインメント
浅草キッド・水道橋博士さんがTwitterで「おわライター」ことラリー遠田さんについてこうおっしゃっていました。
こいつの評論は最悪。わかったような顔してるだけ。RT @owawriter 芸人にとって「ツイッターでシゴトをする」とは「好きな色は何ですか?」的などうでもいい質問に丁寧に答えたりすることではない。ひとつでも多くのイタいことを書いて、このツイッター界にさざ波を立てることだ。
— 水道橋博士 (@s_hakase) December 9, 2012
「さざ波」以上になると悪いので書いておきます。芸人が「イタいこと書く」というジョークです。本意でも無いです。そんなことは芸人だろうが一般人だろうが「簡単に」出来るので「自分だけが芸人についてもツイッターもわかっている」…という目線の論評がナンセンスだとお伝えしたいだけです。
— 水道橋博士 (@s_hakase) December 9, 2012
例えば「たけしは毒気がなくなった」なんて茶の間でつぶやくのは自由です。しかし、それを武士の気概で生きている本人の前で言えば、確実にその人が唾を吐きかけられ斬られます。諫言は本人と信頼関係があるか斬り返せる人でないと言ってもナンセンスだと思います。
— 水道橋博士 (@s_hakase) December 9, 2012
一般的にエンターテインメントというものに対して批判や礼賛、評価というのはつきもの。そして、それはその個人の自由ですし、それが損なわれるようではエンターテインメントといえないと思います。
でも今回の場合、「それを生業としていない人が知ったかぶりでものを言った」ということに問題があるのではないでしょうか。
もちろん、相当にお詳しい方だと思うんです。
それに、すごく尊敬すべき点もたくさんあります。『コメ旬』というメディアを作り出したこともすごい。企画もファンの心に響くものが多い。数々のお笑い評論家と称する人たちと圧倒的に違うところだと思います。
ただ、芸人さんからしたら「お前誰だよ」と言いたくなることがしばしばあるのではないでしょうか。
たとえすごく詳しくても、畑違いの人に「この仕事の世界ってこうですよね」と決め付けられたらイラつくのも無理はありません。「誰だよお前」って。
そして、それは私も同じライターとして、いちばん気を付けている点です。
たとえば取材でいくら入念に下調べをおこなっても、相手のことは100%わかるわけではない。いやむしろ、わからないところの部分の方が多いはず。だから話を聞いていくなかで記事の元々の企画骨子から大きく逸れたり、根底から覆ることすらありうる。だからこそ、「私は一応ここまで調べたのですが、これで正しいのでしょうか」といった、謙虚なスタイルが必要なはずです。
いくらネタを見て、取材記事や番組を見て、インタビューをしても、その人にならない限り、その人の気持ちはわからない。
その配慮に欠けた発言だったんじゃないでしょうか。
だからこそ、水道橋博士さんは「本人と信頼関係があるか斬り返せる人でないと言ってもナンセンスだ」とおっしゃっているのでは。
「これはおもしろかった!」とか「あれはイマイチだった」という議論・評論はこれからもなされるべきとは思うんです。だってそういった話、最高に楽しいじゃないですか。酒でも飲みながら「オギプルギスの夜は最高に笑ったよな〜」とか「いや、おれは◯◯が〜」とかって話すの、いちばんいい酒の肴ですよ。
「全部まとめてエンターテインメント」だと思うんです。
(そういう意味も込めたブログタイトルなんです……)
でも、当事者じゃない人間があたかも当事者のように話す、ということはあってはならないはずです。あくまで視聴者は視聴者。ライターも一緒。ライターだって、いち視聴者です。
そこの垣根は越えないように、これからもエンタメをああでもないこうでもないと楽しみたいです。